2024年9月3日放送 - に:日本で最初の富岡製糸


明治初期の日本の産業発展に多大な影響を残した『富岡製糸場』。

現在も1872年創業当時の建物がそのままの状態で残っており、2014年には『富岡製糸場と絹産業遺産群』として世界遺産に登録され、今年はその10周年にあたります。

 

 

またこの富岡製糸場創業には、新しい一万円札の顔となった渋沢栄一を初め、当時の絹産業をリードしていたフランスの技術者:ポール・ブリュナなどの錚々たるメンバーが関わっていました。

それだけ当時の日本にとっては失敗のできない国家プロジェクトだったのです。

 

 

さて、その富岡製糸場から少し北に行ったところに『龍光寺』というお寺があります。

たくさんの観光客が訪れる世界遺産とは対照的に閑静な場所に建っているのですが、このお寺には明治時代の富岡製糸場の様子を伺えるあるものが存在します。それは何か皆さんはご存じでしょうか?

 

 

正解は『お墓』。

 

 

この龍寺には、明治時代に製糸場で働いていた期間中に亡くなってしまった工女52名のお墓が残っているのです。

 

 

 

また特徴的なのは現在の滋賀県にある彦根藩出身の女性のお墓が多いこと。

製糸場の創業当時の富岡には日本各地から工女が集まってきた訳ですが、彼女たちはずっとここで働く訳ではなく、製糸技術を身につけたら故郷へ戻ってその技術を伝承するという重要な任務がありました。

 

 

そのため創業から3年経った1875年頃になると当初の工女たちは日本各地に散ってしまい、新しい工女を早急に補充する必要が出てきたのです。

そしてその補充に尽力したのが、創業当時から製糸場の運営に携わっていた韮塚直次郎。

直次郎は妻の故郷である彦根藩に生活困窮者が多いことを聞き、妻と一緒に彦根へ赴き工女の募集を行いました。

その結果、働いて家族を助けたいと考えた女性が数多く集まり、直次郎と共に富岡へとやって来たのです。

 

 

しかし、もちろん当時は自動車も電車も無い時代。一度富岡に来たら、そう簡単に故郷に帰ることはできません。

その為、慣れない集団生活や労働が原因で若くして病に倒れ、富岡で亡くなった方も多かったのです。

 

 

現在の龍寺にある工女のお墓で最年少なのが、『清水源』さんのお墓。伝染病であるコレラで死亡したと言われていますが、享年はなんと9歳10ヶ月。

彼女が亡くなった時には、仲間の工女たちがお金を出し合ってお墓を建造したとも言われています。

 

富岡製糸場から無事に巣立っていった方々は、それぞれの故郷に帰って華々しく活躍していったのですが、中には家族に見守られることもなく、夢半ばにしてこの世を去った工女もいたのです。

 

2024年9月3日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊