群馬・福島・栃木・新潟の4県にまたがる『尾瀬国立公園』。
東京ドーム約8000個分を誇る本州最大の湿原であり、1934年に日光国立公園の一部に指定され、その後2007年には『尾瀬国立公園』として独立。現在では国指定の『特別保護地区』として動植物や景観が厳密に管理されています。
そして、この尾瀬を一躍有名にしたのが、”夏が来~れば思い出す~”という歌い出しで有名な『夏の思い出』。
1949年発表の曲であり、これを作詞したのは、『花の街』などの昭和のヒット曲を作った江間章子(えましょうこ)さん。また作曲は『めだかの学校』や『ちいさい秋みつけた』など生涯で3000曲以上の作曲を手掛けた中田喜直(なかだよしなお)さん。
当時の音楽界の黄金コンビが手掛けた曲であった為、これがラジオで放送されるや否や瞬く間に話題を呼び、曲中に出てくる尾瀬が一気に注目を浴びるようになった訳です。
しかし、作詞をした江間さんは岩手県の出身。
またその後は静岡の高等女学校を卒業しているので、幼い頃に尾瀬に訪れた経験はありません。ではなぜ、曲の中で尾瀬を”夏が来れば思い出す”と謳っているのか、皆さんはご存じでしょうか?
先ほど申し上げた通り、この『夏の思い出』が制作されたのは1949年。
戦争が終わって復興の機運が高まっていた当時、江間さんはラジオ番組の担当者から『夢と希望のある歌を作って欲しい』という依頼を受けます。
そして、その時に江間さんの脳裏に浮かんだのは故郷の岩手山の麓で見た水芭蕉の風景。
彼女にとって故郷は夢と希望の象徴であり、その風景を詞の中で描いたのですが、当時既に故郷:岩手を舞台にした歌はいくつも発表していた為、また同じような曲になってしまわないかと悩んだのです。
その時、故郷と同じくらいきれいな水芭蕉が咲いていた場所を思い出します。
それは、戦時中に食料を求めて訪れた群馬県片品村の尾瀬。
食べる物も無く苦しい戦時中に出会った尾瀬の水芭蕉。江間さんはのちにその風景を『夢心地だった』と表現しており、一面に咲き誇る水芭蕉に対して、苦しい中でも生きていく希望を見出していたのです。
ちなみにこの曲の発表後、尾瀬の水芭蕉を一目見ようと、真夏に尾瀬を訪れる観光客が殺到したそうなのですが、実際の水芭蕉の見ごろは5月下旬から6月上旬。
その為、『水芭蕉なんて咲いてないじゃないか!』というクレームも多かったそうなのですが、”夏の思い出”とはいえ、江間さんが描いたのは初夏の尾瀬。
皆さんご存知の通り、尾瀬は季節によって見頃となる花が変わります。今年、水芭蕉の時期は終わってしまいましたが、もうすぐ尾瀬には黄色いニッコウキスゲが満開になります。
2024年7月2日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊