沼田市の片品川にある東洋のナイアガラ:『吹割(ふきわれ)の滝』。
もともとあった岩の軟らかい部分を片品川の流れが徐々に侵食して割れ目のような形が生じ、あたかも巨大な岩が吹き割れたように見えるところからその名が付けられました。
このような形状は非常に珍しく、1936年に国の天然記念物および名勝に指定されており、毎年多くの観光客が訪れています。
さてこの吹割の滝から少し南へ下った穴原という地区に、幕末に活躍したあるお方のお墓があります。
その人の名は『中澤琴(なかざわこと)』。
今でも幕末好きの歴史ファンがこぞってこのお方のお墓を訪れるそうなのですが、皆さんはこの人をご存じでしょうか?
1839年に現在の利根町で生まれた中澤琴は、父の影響で幼い頃から剣術を学び、その後も剣の道を歩んでいきます。
そして24歳の時、当時の将軍:徳川家茂(いえもち)が京へと上洛する為に『浪士隊』と呼ばれる警護部隊を募集するのですが、これに琴は兄と一緒に参加を表明。
またその後に勃発した戊辰戦争では旧幕府軍に味方するのですが、新政府軍の兵士十数人に囲まれて絶体絶命のピンチの際には、片っ端から敵を切り伏せて突破したという逸話が残っています。
結果として旧幕府軍は敗北してしまいますが、琴の剣術の腕は飛び抜けており、その武勇伝は後世に語り継がれているのです。
そんな中澤琴が何故、死後100年近く経った今でも多くの歴史ファンに人気なのかというと、名前を聞いてピンと来た方もいるかもしれませんが、それは琴が正真正銘の『女性』だから。
当時女性の平均身長は140cmくらいだったそうなのですが、琴の身長は170cmであったと言われています。また琴は浪士隊に入隊した時から男の格好をして任務にあたっており、背の高いスラっとした体形であった為、多くの女性の憧れの的だったそうです。
また戊辰戦争終結後の1874年に利根へと帰郷するのですが、この時まだ30代の半ばであった為、親戚たちは琴の婿探しを始めます。しかし本人は、
『自分より弱い者のところには嫁に行かぬ、私を欲しければ打ち負かせ!』
と言い放って、現れる求婚者たちに対して次々と剣術の戦いを挑みます。
結局、彼女に勝つ男は1人もおらず、琴は生涯独身を貫いたそうです。
その後は88歳で生涯を終えるまで利根で過ごした琴。彼女の集落と吹割の滝は目と鼻の先にあるので、おそらく自分の庭であるかのように何度も訪れたことがあるはず。
琴の武士道に対する精神は、この雄大な吹割の滝によって養われたのかもしれません。
2024年7月23日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊