関東平野の北の端に位置する標高1828mの赤城山。
札にも書かれている通り、国内では富士山に次いで長い裾野を持っており、その形の美しさは古くから多くの県民を魅了し続けています。
また大沼・小沼などの自然やキャンプ場などもあることから、1年を通じて観光客が訪れ、群馬を象徴する山として全国に知られています。
さて今から95年前、この赤城山であるスポーツの国際大会が国内で初めて行われました。そのスポーツとは何か、皆さんはご存じでしょうか?
正解は『スキージャンプ』。
1929年2月、赤城山に新設された『地蔵岳大ジャンプ台』で国際スキージャンプ大会が開催されました。このジャンプ台を設計したのは、同じく赤城山出身で日本のスキー指導者の草分け的存在であった猪谷六合雄(いがやくにお)。
この方が、日本のスキーの歴史を作り、そして世界に羽ばたかせたと言っても過言ではありません。
猪谷六合雄と息子:千春
出典 ) Wikipedia
猪谷は1890年に赤城山にあった”猪谷旅館”の長男として生まれ、小学生の頃は大沼でスケートをしながら育ちます。
そして24歳の時にスキーと出会い、板やストックなど必要な道具は自分で作ってしまうほど没頭していくのです。
更にその後はジャンプ競技に専念するようになると、ジャンプ台の設計まで独学で勉強し、自らの手で建設するようになります。
1928年、猪谷は生涯5つ目のジャンプ台を赤城山の地蔵岳に建設すると、翌年にはこの台を使って海外の選手と一緒に大会を開催。彼らが50m超えの大ジャンプを披露する中、猪谷自身も選手として参加し46mを飛んだという記録も残っています。
まさにこの大会の成功が、日本のスキーを世界へ導くきっかけとなった訳です。
そして更に猪谷を有名にしたのは、息子であるスキー選手:千春の活躍。
当時の日本にはまだスキーの指導者がほとんどいなかった訳ですが、猪谷は親子でスキーの技術や道具の研究を行い、独自に編み出した練習方法で英才教育を行います。
その結果千春は、1956年にイタリアで開催されたコルティナ・ダンペッツォオリンピックの男子回転競技で銀メダルを獲得。
見事日本人選手で初となる冬季オリンピックのメダリストとなったのです。
その千春さんは日本オリンピック・アカデミーの会長や東京都スキー連盟の会長などを歴任し、2014年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問に就任。
そして現在93歳。今もまだ国際オリンピック委員会の名誉委員として活躍されています。
来月からパリオリンピック・パラリンピックが開催されますが、赤城山で培ったオリンピアン精神を今なお発揮されているのです。
2024年6月25日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊