兵庫県の有馬温泉、岐阜県の下呂温泉に並び日本三名泉の1つに挙げられている『草津温泉』。
高温で酸性の強い温泉水が特徴であり、”恋の病以外ならどんな病気でも治る”湯として古くから多くの方に親しまれてきました。また2023年度の草津町の観光入込客数は370万人と過去最高を記録しています。
しかしどんな病気でも治る湯だからこそ草津にはある悲しい過去があり、その過去を風化させないよう草津の中心街から離れた所にひっそりと建っている建物があります。
それは『重監房資料館』。皆さんはこの建物をご存じでしょうか?
1873年、ノルウェーの医師がある感染症を発見します。その病名は『ハンセン病』。
ハンセン病は『らい菌』という菌による感染症であり、皮膚と末梢神経を侵し、悪化すると皮膚の変色や体の変形を伴うことがある病気です。
その為、明治時代にはこのハンセン病を治療する為、多くの患者が草津へと集まってきました。
1887年には草津町の一角に『湯之澤』と言うハンセン病患者の集落が形成され、多い時には800人を超えたと言われています。
しかし1907年、日本はこのハンセン病患者を放置していると諸外国から批判をあびると、政府は感染拡大防止と治療促進の為に法律を制定し、ハンセン病患者を一般社会から隔離して療養所に入所させる政策を打ち出します。
ところが入所は強制であった為に拒む患者も多く、反抗や逃亡も頻繁に起こりました。
その為、激しく抵抗する患者は『特別病室』という場所に送られたのですが、この病室というのは名ばかりであり、実際には治療を行わずに重い罰を与える為の監房として使用されていました。その為、この特別病室はいつしか『重監房』と呼ばれるようになったのです。
資料館内に展示されている当時の収監者の人形
この草津の重監房は1938年に建てられ、その9年後の1947年まで使われていました。
この間に激しく反抗したハンセン病患者が93名収監され、そのうち23名がこの中で亡くなったと言われています。
当時の政府は患者を治療する為に法律を作ったのですが、返ってハンセン病は伝染力が強いという間違った考えが広まってしまい、病気に対する偏見を大きくしたとも言われています。
実はハンセン病の感染力はそれほど大きくなく、通常の大人の免疫力であれば発症することはほとんどありません。
それにも関わらず、当時は病気に対する誤解や根拠のない恐れから、多くの患者が偏見に苦しみ、人権侵害と戦っていたのです。
現代の日本でハンセン病を患う人は皆無であり、また治療薬も開発されているので万一発症しても100%完治します。
昔から湯治客や観光客で賑わう草津温泉ですが、実は決して忘れてはいけない悲しい過去も存在するのです。
2024年5月21日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊