2024年5月14日放送 - き:桐生は日本の機どころ


 古くから京都の西陣織と並ぶ絹織物の生産地として有名だった桐生。

その歴史は古く、絵札にも描かれている白滝姫という人物が桐生に織物の技術を伝えたのが始まりと言われています。

 

また714年には「あしぎぬ」と呼ばれる絹織物を朝廷に納めたという記述が当時の書物に残っており、実に1300年以上も前に桐生で織物が生産されていた事になるのです。

そして『桐生織』は1977年から国の伝統工芸品にも指定されています。

 

 

その為、桐生は『織物職人の街』として知られてきた訳ですが、織物で発展していく為には職人だけでは成り立たず、当然のことながら桐生織を売る商人の存在も重要です。

その桐生織を国内のみならず世界に売り回った商人として有名なのが『11代目書上文左衛門(かきあげぶんざえもん)』。

皆さんはこの方の存在をご存じでしょうか?

 

 

文左衛門は1864年、現在の埼玉県羽生市生まれ。

27才の時、古くから織物の買継商(かいつぎしょう)として有名だった桐生の書上商店の婿養子となり、その2年後に11代目となる書上文左衛門を名乗ることになります。そしてその後、すぐにビジネスに関する才能を発揮していくのです。

 

 

まず文左衛門は、桐生のほかに足利や伊勢崎、館林、佐野などに書上商店の支店を作って全国各地に取引先を広げ、1897年には海外と織物の取引をする為、横浜港にも店舗を構えて中国への輸出を開始。

そしてその10年後には上海にも貿易会社を設立し、桐生織を初めとした日本の織物を世界へと紹介していきます。

 

 

更に文左衛門の功績として素晴らしいのが織物に関する『情報発信』。

1911年、織物をもっと盛り上げていく為には業界のことを数多くの人々に知ってもらうことが重要だと考えた文左衛門は、『書上タイムス』という月刊の業界情報誌を発行します。

実際、この雑誌には当時の桐生の職人や機械などが詳しく紹介されており、桐生織の認知向上とブランディングに大きく貢献したのです。

 

 

しかし1920年、景気の衰退で経営不振となり横浜や上海から撤退。そして第二次大戦後にはついには倒産となってしまいます。

これにより桐生織の1つの時代が終焉となったのですが、ただ当時書上本店として使われていた建物は今も桐生市内に現存しています。本町通りをまっすぐ北に進んだところにある本町二丁目の『花のにしはら』というお花屋さん。

この店舗として使われている建物がまさに書上本店なのです。

 

建物の老朽化などにより桐生織に関連した歴史的建造物も徐々に減ってしまっているのが現状ですが、書上商店の建物は今も現役バリバリで、当時の織都桐生の面影を伝えています。

 

 

旧書上商店本店 (現:花のにしはら)

2024年5月14日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊