中之条町北部に位置する四万温泉。
『4万の病気を治す霊泉』という言い伝えから”四万”と名付けられたと言われており、草津や伊香保と並んで”上州三名湯”とも呼ばれています。
山の奥深い所に位置する温泉ですが、かつては太宰治や井伏鱒二、与謝野晶子などの著名人もたびたび訪れていたことで知られていました。
そして近年では、ある俳優さんが頻繁に四万を訪れて宿泊していたことでも有名です。その俳優とは、『クイズアタック25』の司会でも有名だった児玉清さん。
児玉さんは幼少期に四万温泉へ学童疎開した経験があり、それがきっかけで事あるごとに何度も訪れていました。
そして2011年にこの世を去る少し前にも、癌で体調の悪い中、ひとりで四万に宿泊したことが分かっています。
さて、この『疎開』という言葉。
我々戦後生まれには無縁ですが、第二次大戦末期であった1944年6月、アメリカ軍がサイパン島へと上陸したことに端を発します。これにより政府は日本の本土空襲も回避できないと判断し、大都市に住む小学生を安全な地域へ移動させる方針を打ち出したのです。
また疎開には単に子供の安全の確保だけでなく、次世代の兵士を温存するという目的もありました。
ちなみに避難や退避ではなく敢えて『疎開』という言葉を使ったのは、「あくまで軍事作戦の1つであり、決して逃げるのではない」ことを政府が国民にアピールしたかった為と言われています。
そして群馬県は東京からの疎開先として選択されることが多く、全国疎開学童連絡協議会によると、東京から群馬に疎開した児童数は約28,000人にものぼったそうです。
一方で疎開をしない児童もいました。これは、病弱であった為に疎開には適さないと判断されたり、経済的な理由で疎開に伴う食費や布団などを親が負担できなかったりしたからです。
その為、彼らは親と一緒に東京に留まることができたのですが、その反面、いつ来るか分からない空襲へ常に不安を抱えながら過ごしていたのです。
当時の四万温泉を初めとした中之条町周辺には、児玉さんを含む東京の小学生2,000人が疎開をしていました。
もちろん、あまり良い思い出とは言えませんが、これが縁となって素晴らしい繋がりも生まれています。
1986年には当時の疎開児童250人が中之条町を訪れ、それがきっかけとなって97年には東京都の北区と中之条町の間に『友好都市交流協定』が結ばれたのです。
今でも毎年夏には、北区在住の親子約40名が中之条町で2日間に渡って自然や農業に触れ、都会で味わう事のできない体験活動に参加しています。
2024年2月6日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊