2017年にユネスコの『世界の記憶』に登録された上野三碑。
これは高崎市の吉井町周辺に現存する飛鳥時代から奈良時代の頃に作られた石碑であり、多胡碑、山上(やまのうえ)碑、金井沢碑の3つ碑のことを指します。
またこの時代に作られた石碑は国内にわずか18基しか現存していないのですが、その中の3つがとても近い距離に集中して存在しており、また保存状態も良い事から当時の様子を知る貴重な資料として大切に守られてきました。
しかし群馬県内にある石碑は、この3つだけではありません。
先程この時代に作られた石碑は18基と言いましたが、実はこれら3基に加えてあともう1基、国の重要文化財に指定されている石碑が県内に存在します。それは、桐生市内にある『山上多重塔(やまかみたじゅうとう)』。
皆さんはこの存在をご存じでしょうか?
山上多重塔が建てられたのは、平安時代初期にあたる西暦801年。
今から1200年以上も前に作られた古い碑なのですが、上野三碑と比べると100年ほど新しいものになります。また一番下の土台となる石を含めて4つの石が塔のように積み重ねられているのが特徴です。
そして刻まれているのは45文字の漢字。それを現代語訳すると、
『絶え間ない地獄のような苦しみを受けている全てのものを救い、永く安らぎの地へ往くことができるように、ここに法華経を安置する塔を建てた。』
と書かれています。どうやら当時この塔の中には法華経の経典を保存していたようです。
ただ気になるのは、『絶え間ない地獄のような苦しみを受けている全てのもの』という記述。
この苦しみというのが具体的に何を示しているのかは研究者の中でも意見が分かれるのですが、この碑が建てられた頃に起こっていたのが当時の朝廷と蝦夷(えみし)の間の38年戦争。
蝦夷とは現在の東北地方に存在していた先住民であり、彼らは朝廷の支配下に置かれることを拒んでいました。
その為、この蝦夷を征伐する為に朝廷は東北地方へと遠征したのですが、その際、その東北に近い北関東から多くの男性を強制的に徴兵したことが分かっています。
またそれに伴ってこの地域の田畑を耕す労働力も不足し、残された女性や高齢者も大変な苦しみを味わっていた訳です。
今も昔も、戦争は多くの人々を苦しめていた訳です。
この山上多重塔ですが、現在はアクリル板で囲んだお堂の中で保存されています。
当時の仏教文化を知る為の貴重な資料として、現在は国宝にすべきという意見も挙がっています。まだ見た事のない方は是非一度訪れてみて下さい。
2024年11月26日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊