室町時代に建てられた館林市の茂林寺。
この寺には古くから茶釜に関する伝説が伝えられており、これを基に明治時代の童話作家:巌谷小波(いわやさざなみ)がおとぎ話「ぶんぶくちゃがま」を創作しました。
桃太郎や浦島太郎と並ぶ日本を代表するおとぎ話であり、日本人であれば小さい頃に誰もが読んだ事のあるお話だと思います。
さて、ではその茂林寺に伝わる『分福茶釜伝説』ですが、一体どんな内容だったか皆さんは覚えていますでしょうか?
要約するとこんな感じです。
~~~~~~~~~~~~~~~
今から約450年前にあたる1570年、ある日茂林寺で大勢の客を招待する催し物を行う為、お茶を沸かす大きな茶釜が必要となりました。
するとその時、この寺に仕えていた守鶴(しゅかく)というお坊さんが、どこからか1つの茶釜を調達してきます。
その茶釜は何とも不思議な品物で、そこからいくらお湯を汲んでも汲んでも、湯が減ることはありませんでした。
そのため守鶴はこの茶釜を、たくさんの人々にお茶を振舞い、幸福を分け与えられるという意味で「分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は開運出世を授かるであろうと言ったのです。
しかしその後のある日、守鶴が寝ている時に手足から獣の毛が生え、またお尻からしっぽも生えているところを別のお坊さんに見つかってしまい、自分が狸であったことがバレてしまいます。
その為、これ以上茂林寺にはいられないと悟った守鶴は人々に舞を披露し、名残惜しむように狸の姿で飛び去って行ったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~
これが茂林寺に伝わる分福茶釜伝説なのですが・・・『あれ?』と思った人も多いのではないでしょうか?
我々が知っているおとぎ話では、狸が化けていたのは茶釜だったはず。しかし、実際にお寺に伝わる伝説では、狸が化けていたのは茶釜ではなく、その茶釜を持ってきた守鶴というお坊さんだったのです。
おそらくこのお話を作り替えたのは、分福茶釜のおとぎ話を創った作者の巌谷小波。もちろん悪気があって替えたのではなく、子供たちに楽しんでもらえるようにという意図があったのではと思います。
そしてこの守鶴というお坊さんですが、その正体は狸ではなく『羅漢』というお釈迦様の弟子だったのではないかという説もあります。色々と謎に包まれてはいますが、茂林寺ではこの守鶴を化け物として捉えているのではなく、多くの福をもたらしてくれた人として現在も祀られています。
また湯を汲んでも無くならなかったと伝えられている茶釜も、その実物がお寺の中に展示されています。
大変貴重なモノですので、まだ見たことが無い方は是非一度、茂林寺に足を運んでみて下さい。
2024年10月15日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊