2023年5月23日放送 - き:桐生は日本の機どころ


 

 古くから京都の西陣織と並ぶ織物の生産地として発展してきた桐生市。

その織られた布地は、新田義貞や徳川家康が戦いの時の旗として使ったという記録があり、また『桐生織』は1977年から国の伝統工芸品に指定されています。

 

 

更に桐生と言えばきれいな街並みでも知られており、2012年には文化庁から『重要伝統的建造物群保存地区』に指定されました。そしてその街並みの代表的な存在として皆さんが真っ先に思い浮かべるのはおそらく『ノコギリ屋根』ではないでしょうか?

 

その名の通り、ノコギリの歯のようにギザギザの形状をした三角の屋根は、明治から昭和初期にかけて織物工場として建設されたものであり、今も200棟以上が市内に残っています。

 

 

 

 

もともとこのノコギリ屋根は1820年代にイギリスで考案されたと言われており、1883年に現在の東洋紡にあたる『大阪紡績会社』の工場に国内で初めて採用されました。

しかしそもそもなぜ織物工場の屋根を特殊なノコギリ型にする必要があったのか、皆さんはご存じでしょうか?

 

 

 

その1番の理由は『明るさ』の確保。

 

織物を作る際には生地の微妙な色使いを確認する為、当然明るくなければいけません。

しかし初めてイギリスでノコギリ屋根が作られたのは、エジソンが白熱電球を発明する50年以上前。電気の乏しい時代は太陽光に頼らねばならず、天井に天窓を作って明るさを確保する必要がありました。

 

 

また、桐生にあるノコギリ屋根を見ると分かるのですが、天窓はギザギザの屋根の垂直面に取り付けられており、そのほとんどが北側に付けられています。

明るくするなら南向きが良いのでは?と思うかもしれませんが、南から直接入る光よりも北側に窓を設けて間接光を取り入れた方が一日を通して均一な光を工場内に取り入れることができ、作業がしやすいのです。

 

 

更に明治時代以降、桐生の織物生産に欠かせない存在となっていたのがジャカード織機。

 

この機械を使って織物を作る際、ただでさえ大きなジャカード機の上に縦糸を上下させる装置を載せる必要があります。その為、頭上に広い空間を設けることができるノコギリ屋根は、ジャカード機の運用に適していたのです。

 

 

 

当時織物は日本の代表的な産業であった為、全国各地にノコギリ屋根の工場がありました。しかし現在は役目を終え、そのほとんどが解体されてしまっています。

 

もちろん桐生も例外ではなく、古い工場は既に無くなっているものの、現在は市をあげて保存する活動を行っています。そして、その一部は既にアトリエやカフェなどに生まれ変わっており、レトロでおしゃれな桐生の街並みを盛り上げています。

 

 

2023年5月23日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊