先週のこのコーナーでは、札に採用したくてもできなかった『高山彦九郎』について紹介しました。
当時は日本がまだGHQの管理下にあり、彼らの検閲によって採用を却下された訳です。
しかしそれ以外の理由で採用されなかった題材もたくさんあります。
1947年1月、上毛かるたの発起人である浦野匡彦先生は上毛新聞の紙面でかるたの制作を発表し、札の候補となる題材を県民から広く募集しました。その結果、各地から272点もの案が集まったのです。
ただ、上毛かるたの札はたった44枚。当然のことながらこれらの案全てを札にすることはできません。
その為、1947年4月14日、浦野先生を含めた有識者の方々が群馬会館に集合し、集まった案を『人物』、『史蹟』、『名物』など9つの部門に分け、それぞれの部門でどの題材の人気が高いのかを集計をしました。
これが第1回の上毛かるた選考委員会。そして、なんと当時の集計結果は今でもきちんと残っており、浦野先生の娘である西片恭子さんの著書『上毛かるたのこころ』にその詳細が掲載されているのです。
これを見ると興味深いのが『温泉』部門。
県民から一番多く案が寄せられたのは『伊香保』と『草津』で共に11案。次に多いのが『四万』と『水上』の6案であり、これら4つの温泉については札に採用されています。
では、その次に多い5案を獲得していたのに採用されなかった温泉とはどこか、分かりますか?
正解は『磯部温泉』。
磯部温泉は温泉マーク発祥の地であり、また以前紹介した通り、舌切り雀伝説の残る地域としても有名です。
また当時、磯部温泉の湯は飲んでも薬として効果がある事で知られており、またこれを含ませて焼き上げた磯部煎餅は子供や病人にも食べやすいということで、当時から土産物として大人気だったのです。
ではなぜ磯部温泉が札に採用されなかったのか?についてですが、その詳細は本に書かれていません。
ただ先ほども申し上げた通り、集まった案の中から札にできる題材は44だけであり、また札の題材が1つの地域に偏らないようバランスを考えて採用されているようです。
実際、44枚各札のゆかりの地を群馬県地図上に配置すると、かなり均等に散らばっているのがよく分かります。
この『上毛かるたのこころ』という本。現在では絶版となっており、また著者である浦野先生の娘、西片恭子さんも2021年に85歳で亡くなられました。
その為現在はなかなか手に入りにくいのですが、Amazonで中古本がいくつか販売されているようです。
制作当時の様子やその苦しみがよく分かる本なので、ご興味ある方は是非読んでみて下さい。
2023年3月21日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊