赤城山、妙義山と共に上毛三山の1つとして知られている榛名山。
榛名富士や榛名湖に加え山の東側には伊香保の温泉街があり、また1924年には山頂一帯が県立公園に指定され、キャンプはもちろん一年を通じて毎年多くの観光客が県内外から訪れます。
更に歴史を遡ると平安時代には榛名湖を題材にして詠まれた多くの和歌が残っており、明治以降は与謝野晶子や竹久夢二などの著名な歌人や画家が訪れてたくさんの作品を生み出している、まさに芸術の源となった場所としても知られています。
さてこの榛名山。現在は多くの方がレジャー目的で訪れる人気のスポットですが、古代、榛名山は『農民達の心の支え』であったことを皆さんはご存知でしょうか?
江戸時代、榛名山は榛名神社の門前町として栄えた場所であり、春になると上州だけでなく関東甲信越にある村々の農民がこぞって榛名を目指し榛名神社にお参りするという、いわゆる『榛名講(はるなこう)』という風習がありました。
その為、当時榛名神社の参道には100軒以上もの宿坊が存在していたとても大きな町だったのです。
榛名神社に祀られているのは農業の神様であり、雹(ひょう)や嵐などから作物を守って豊作をもたらしてくれると考えられてきました。
その為、毎年春になると『御師(おし)』と呼ばれる山の案内人と共に各村の代表者数名が榛名山に登り、榛名神社にお参りしたのです。
また榛名神社の境内の湧き水を竹筒に詰めて持ち帰り、田畑に注ぐと雨に恵まれるという言い伝えもあり、当時日照りが続いて雨が降らない時には雨乞いの為に榛名神社へ訪れる人たちもいました。
科学も天気予報も無かった時代、悪天候から農作物を守らなければ食べる物も無くなって生き延びることができなかった訳ですが、その為には神に祈るしか方法がありませんでした。
榛名神社はまさにそんな農民たちの心の支えであり、だからこそ関東一帯だけでなく、甲斐や越後の国からも遠路はるばるお参りに来ていたのです。
明治に入ると徐々にその風習も衰退し宿坊の数も減っていくのですが、実は現在でもその風習が残っている地域もあるようです。
確かな情報ではないのですが、東京や川崎の多摩地域辺りのごく一部の集落では今でも榛名講の風習を守り続けていて、毎年地域の代表者が榛名神社へ行きお参りしていると聞いたことがあります。
また榛名神社の参道には、現在でも十数件の宿坊が当時の風情を残しながら食事処や土産物店を営業しています。
もうすぐ紅葉のシーズンもやってきます。是非そんな目で今年榛名山に登ってみてはいかがでしょうか。
2022年9月27日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊