2022年9月13日放送 - ぬ:沼田城下の塩原太助


江戸時代中期、現在のみなかみ町に生まれた塩原太助。

 

貧しい農家の出身ですが、18歳で江戸に出て炭屋で働き、多くの困難を乗り越えたのちに江戸時代を代表する資産家となりました。

しかし成功を収めた後もその地位におごる事は無く、貧しい人や弱い立場にある人の為にコツコツ働き、暗い夜道を照らす為の灯ろうを建てたり、石畳を敷いて歩道を整備したりという社会貢献活動に人生を捧げました。

 

 

さてこれほど人々の為に尽くした塩原太助ですが、江戸時代当時の知名度はそれほど高くなかったと言われています。

しかし明治に入ると、ある噺家が彼の生涯を創作落語として披露した事で塩原太助の名は一気に広まります。その噺家というのが明治の天才落語家である『三遊亭圓朝(えんちょう)』さん。

 

 

 

 もともと圓朝さんは怪談噺を得意としており、当時墨田区に残っていた塩原の旧家に幽霊が出るという話を聞いて、これを基に怪談を作ろうと思っていました。

しかしその後、太助がわずか600文のお金を持って上州を飛び出し大商人にまで上り詰めた事に圓朝さんは深く感動し、怪談ではなく人情噺として創作しようと決めたのです。

 

そして1878年に高座で初披露。その後この噺は多くの人達から高い評価を得て、1891年には明治天皇の前で圓朝本人が演じたことも記録に残っています。

 

 

しかしこの『塩原多助一代記』、戦後になると高座で演じられる事はほとんどありませんでした。その理由は何しろ物語自体が非常に長く、また登場人物も多いということ。
その為これを演じる噺家の技量はもちろん、聴く側にも労力が必要な事から次第に演じる人が少なくなっていった訳です。

 

しかし近年になってこの噺を蘇らせた、皆さんよく知っている落語家さんがいるのですが、それは誰かご存知でしょうか?

 

 

正解は笑点でおなじみの『桂歌丸』さん。

歌丸さんは晩年、太助の生き様に興味を持ち、また時代に埋もれてしまった名作『塩原多助一代記』をこの世に蘇らせる為、長かった物語をまとめ、2話構成にして披露しました。

 

 

  

とはいえそれでも登場人物は15人。1人の噺家が声を使い分け、喜怒哀楽以外にもお国なまりや口調を変えて全ての人物の役をこなすのは至難の業であり、歌丸さんのような噺家の中の噺家でないとできない事なのです。

 

 

 

ご存知の通り歌丸さんは2018年にお亡くなりになりましたが、現在はお弟子さん達が師匠の意志を継ぎ、この『塩原多助一代記』を時々披露しているそうです。

群馬県民であれば是非聞いて頂きたい演目。是非YouTubeで!と言いたい所なのですが、できれば時間の空いた時に寄席で聞いてみるのが良いかもしれません。

 

2022年9月13日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊