関東平野の北の端に位置する赤城山。
上毛三山の1つとして古くから信仰の対象となっていた山であり、県内には100箇所以上の”赤城神社”が存在します。
また大沼・小沼などの自然はもちろん、キャンプ場やスキー場などもあることから1年を通じて観光客が訪れ、群馬を象徴する山として全国に知られています。
さてその赤城山、前橋に住むリスナーの皆様にとっては自分の家の庭のような場所かもしれませんが、かつてこの山の山頂近くに鉄道が通っていたことを皆さんはご存知でしょうか?
前橋に住んでいるとあまり馴染みがない?かもしれませんが、実は昔、桐生方面から赤城山を登るルートとして鉄道が設置されたことがあるのです。
今でもわたらせ渓谷鉄道の水沼駅辺りからクルマで赤城山を登っていくと、『利平茶屋森林公園』というキャンプ場があります。
ここから更に登っていくと、山頂に向かって階段のように延びている線路の跡があるのですが、これがまさに東武鉄道がかつて運営していた『赤城登山鉄道』です。
この山の中に初めて鉄道を敷こうとしたのが、かつて日本国内の様々な鉄道会社の設立に携わり、『鉄道王』の異名を取った東武鉄道の総裁:根津嘉一郎(ねづ かいちろう)。
嘉一郎は戦前まだ開拓されていなかった赤城山をたびたび訪れてその景観に深く感動し、ここに鉄道を敷いて一大観光地にすることを思い付きます。
しかし残念ながらその夢は叶わず、1940年に亡くなってしまうのですが、戦後に東武鉄道の後継者達が彼の意志を引き継ぎ、赤城山の開発に着手。1957年に開業したのです。
ちなみに現在東武鉄道にある『赤城駅』。かつてこの駅の名称は『新大間々駅』でしたが、赤城登山鉄道の開業と共に赤城駅へと名前を変更しました。これも当時、東武鉄道が赤城山を本気で一大観光地にしようとしていた気持ちの表れなのです。
しかし時代は高度成長期。日本の一般庶民もマイカーを持つようになり、また山頂付近から前橋方面へ通じる赤城山の南側の道路も整備されていったことでケーブルカーを利用する人は次第に減っていきます。
その結果、開業からわずか11年後の1968年に廃線となってしまったのです。
その赤城登山鉄道ですが、先ほど申し上げた通り今でもケーブルカーの線路の跡は残っており、また終点だった『赤城山頂駅』の駅舎は現在『サントリー・ビア・ハイランドホール』というレストランとして営業しています。
かつての日本の鉄道王が赤城山に遺した夢の跡。是非この夏に見に行ってみてはいかがでしょうか?
2022年6月28日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊