昔から良質な温泉として多くの人に親しまれてきた伊香保温泉。
明治から昭和の初めにかけては夏目漱石や与謝野晶子、島崎藤村などの著名人が訪れ、また1945年までは皇族の別荘である『伊香保御用邸』も存在していました。
この札は、上州三名湯の1つであるその伊香保温泉を詠んだ札です。
さて、皆さんが『伊香保』と聞いて真っ先に思い浮かべる事は何でしょうか?
おそらく、『い』の絵札にも描かれている『石段街』の景色ではないかと思います。
現在365段ある石段の両側には旅館やお土産物屋さんが数多く立ち並び、この情景がまさに伊香保の代名詞となっていますよね。
この石段街は1576年頃にできあがったと言われています。
当時、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に敗れた武田勝頼は多数の負傷者を出します、その為、勝頼は温泉が湧く伊香保の地に負傷者の傷を癒す保養地を設ける事を発案します。
その保養地整備の命令を受けたのが、NHK大河ドラマ『真田丸』で草刈正雄さんが演じていた真田昌幸。伊香保は山の斜面に位置している事から、昌幸はこの傾斜の移動をスムーズに行えるよう石段を整備し、その脇に並ぶ屋敷まで樋(とい)を作って源泉から温泉を引きました。
これが石段街で温泉経営が行われる様になった始まりという訳です。
このように温泉を中心としたまちづくりというのは当時他に例が無く、伊香保は日本で最も古い温泉リゾート地とも言われています。
そして、その石段街を歩いて足元を見ると、ふと『何これ?』と思った事はないでしょうか?
今の石段には子、丑、寅・・・と干支が描かれたプレートがあちらこちらに12枚埋まっています。
実は江戸時代、伊香保には『大屋(おおや)』と呼ばれる12の温泉宿があり、それぞれの宿が干支をシンボルにして温泉旅館を経営していました。
この大屋は毎年交代で名主や伊香保の関所の役人を務めており、当時この地域で大きな権力を持っていたのです。
そして、その当時大屋の屋敷があった跡地にシンボルとしていた十二支のプレートが埋め込まれている訳です。今でも12の大屋のうち4件が現役の温泉宿として経営しています。
伊香保に訪れた際は是非、この12のプレートを探してみて下さい。
ちなみに私は以前、何も下調べをせずにプレート探しへ行ったことがあるのですが、最後の2つがなかなか見つからず、1時間ほど石段を上ったり下りたりして筋肉痛になった思い出があります。
ご興味のある方は是非どの辺にプレートがあるのか、インターネットで確認してから出かける事をおススメします。
2022年4月12日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊