江戸時代、日本は鎖国によって外国との交流を禁止してきましたが、その影響もあって絵画や文学など日本独特の文化が発展しました。
またそれと同じように数学も西洋の算術とは異なる『和算』と呼ばれる日本独特の計算方法が確立されていくのですが、その和算の発展に大きく貢献したのが『わ』の札に詠まれている江戸時代の天才数学者:関孝和です。
この関孝和の功績というと、『点竄術(てんざんじゅつ)』という方程式の解き方を確立したり、『発微算法(はつびざんほう)』という数学の書物を発行したりと様々です。
しかし、敢えて私が声を大にして紹介したい功績が・・・『円周率の計算』。
『数学なんてもう忘れた!』という方の為に一応解説すると、円周率とは円の円周を直径で割った値のこと。
これを学校では3.14と習う訳ですが、実際この数字は3.141592・・・と延々と続く無理数であることが分かっています。
この円周率を当時関孝和は電卓もパソコンもない時代なのにも関わらず、小数点第11桁まで計算したのです。
そして、それをどうやって計算したかというと、『正多角形の周りの長さ』を計測するという方法。
正五角形、正六角形、正七角形・・・と正多角形の角の数を増やしていくと段々と円に近づいていきますよね。従いまして、このようにできる限り角の多い正多角形を作って周りの長さを測って行けば、正確な円周率に近い数字が計算できるという訳です。
この方法を使って江戸時代に円周率を計算したというだけでもすごいのですが、更に驚くのは、関孝和はいったい正”何”角形で計算したのか?ということ。
正解は・・・実に、正131072角形。
繰返しですが、電卓もパソコンもない江戸時代の話です。おそらく相当大変な作業だったと思いますが、そこまでして計算を行った気力と体力こそがまさに数学の天才なのです。
ちなみに関孝和がこの円周率を求めたのは1681年頃。その後、ドイツのエイトケンという数学者が同じくらいの桁数の円周率を求めたのですがが、それは1876年のこと。実に関孝和は200年も早く算出していたことになります。
また更に、この関孝和が確立した和算を使って明治時代初期に偉大な功績を残した人物がいます。それが先週このコーナーで紹介した”老農船津傳次平”。
傳次平は若い頃から和算の勉強に励んで免許皆伝に至っており、そのスキルを農業技術の研究に利用した訳です。
最近は子供たちの数学離れなんて話もちらほら聴かれますが、数学無くして世界の発展はありません。是非多くの子供たちに興味を持ってもらいたいものです。
2022年3月1日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊