2021年6月1日放送 - す:裾野は長し赤城山


私は横浜在住ですが、練馬ICからクルマで関越道を北上し、目の前に長い裾野の山が見えてくると、『あ~群馬に帰ってきたなあ!』と実感します。

この『す』の札は上毛三山の1つである赤城山を詠んだ札です。

 

 

赤城山の標高は1828mとそれほど高くはないのですが、札にもある通り国内では富士山に次いで長い裾野を持っている事が特徴です。またその形の美しさが古くから多くの県民を魅了し続けており、現在では日本百名山および日本百景の1つにも選ばれています。

 

 

正直言いまして。赤城山については話したい事がたくさんあります(笑)

ただその中から1つ挙げるとすれば、江戸時代にこの赤城山を拠点にして活動した県民の英雄『国定忠治』かなと思います。

 

国定忠治は江戸時代後期の侠客ですが、義理人情に厚い人物であり、天保の大ききんの時には賭博で稼いだお金で多くの人を援助したり、農業用水を整備したりしました。

そのおかげで、全国で多くの餓死者を出したききんにも関わらず、忠治の縄張りである赤城山麓一体ではひとりも餓死する人がおらず、当時の住民は赤城山に背を向けて寝られないくらい感謝したのだそうです。

 

 

とはいえ多くの殺人や関所破りを行った為に最期は磔の刑でその生涯を閉じたのですが、明治以降に芝居や講談などの題材としてその功績が取り上げられたことにより、国定忠治の名前は全国的に広まっていきました。

またその芝居の中で、忠治が役人から逃亡する為に子分達と別れる時のセリフ『赤城の山も今宵限り』は多くの人を感動させ、これが赤城山の名前を有名にしたと言われています。

 

 

1947年の上毛かるた制作当時、この国定忠治を札にすべきという意見が県内各地から寄せらせました。しかしながら忠治自体が侠客である為、当時かるたの検閲を行っていたGHQから拒否をされてしまいます。

それでも制作者達は群馬の英雄を何とかして札にしようと必死に抵抗するのですが、過度な抵抗はかるた自体の発行が禁止となる恐れがある為、やむなく忠治の採用を断念したのです。

その代わり、その時のGHQに対する怒りや思いを群馬特有の気象現象に例えて札にし、その詠み札を赤く染めます。これが『ら:雷と空っ風 義理人情』です。

『ら』の詠み札を今でも赤くしているのはそんな理由があるからなのです。

 

 

他にも赤城山には様々な魅力があります。そういえば現在、NPO法人赤城自然塾さんが『赤城山検定』を毎年実施していますよね。今まさに受験者募集中のはずなので、自信のある方は是非チャレンジしてみてはいかがでしょうか?