今年は桐生市制100周年の記念すべき年ですが、この札はその桐生市が誇る織物文化について詠んだ札です。
この桐生の織物の歴史はとても長く、奈良時代には既に桐生で作られた絹を朝廷に献上したという記録が残されています。
また江戸時代には『西の西陣、東の桐生』と言われるほど織物の二大産地として知られるようになりました。
さて、普段上毛かるたの札を何気なく見ていると思いますが、皆さんはこの『き』の絵札に描かれている女性、この方のお名前をご存知でしょうか?
正解は、桐生に機織りを伝えたと言われる『白滝姫』です。
今から1200年前に上野国の男が京都に宮仕えに出され、その時に宮中のある女性に恋をします。
身分の違いで本来ならば敵わぬ恋に終わってしまうのですが、ある日男は天皇の前で見事な和歌の腕前を披露し、この女性を桐生に連れて帰ることを認めてもらいます。
この女性が『白滝姫』であり、姫は京都で培った機織りの技術を桐生の人々につたえ、それが織物の町:桐生の基となったと言われている訳です。
現在桐生市内にある『白瀧神社』には、この白滝姫が大切にまつられています。
また桐生織は日本の歴史の中でも要所要所で登場しており、特に天下分け目の合戦と言われているあの『関ヶ原の戦い』に大きな貢献をしています。
1600年、徳川家康が今の栃木県の小山に滞在中に急遽石田三成を討伐することになります。
これが後に関ヶ原の戦いと呼ばれることになるのですが、その戦いに備えて急遽幟(のぼり)を準備しなければならなくなりました。
その時、桐生の方々がわずか1日で2410枚の織物を幟として家康に献上し、その結果家康は見事関ヶ原の戦いで勝利を収め、桐生はより名を高めることになるのです。
群馬が誇る名産品『桐生織』ですが、ここ最近は海外の安価な製品に押されて衰退していっている事も事実です。
今でも桐生の職人さん達が様々な技術開発を行っていますが、我々もこの織物技術を守っていかなければなりませんね。