私が子どもの時、我が家のお正月の初詣といえば貫前神社でした。
毎年元日の夕方に家族でお参りに行き、参道で買う焼きまんじゅうやお好み焼きが新年初日の夕ご飯でした。
正式名称は『一之宮貫前神社』。一之宮(いちのみや)とは、当時の上野国の中で最も格式の高い神社であることを示しています。
また『ゆかりは古し』と札に詠まれているように、この貫前神社が創建されたのは今から約1500年も前の西暦531年。『昔を語る多胡の古碑』が建てられたのが710年頃ですから、それよりも200年近く前に建てられた由緒ある神社なのです。
もともとこの地域は長野へ行く碓氷峠の入り口という事もあり、縄文時代の頃から甲信越地方との交易の中継ポイントとして栄えていました。その為、この地域に上野国の一之宮が建てられたと言われています。
さてこの貫前神社、訪れた事のある方ならばご存知と思いますが、実際に行ってみると『あれ?』と思う事が1つあります。それは神社の『配置』です。
一般的な神社は鳥居から階段を上った頂上に本殿があるのに対し、貫前神社はなぜか鳥居が丘の頂上にあり、そこから階段をずっと下っていったところに本殿があります。
このように鳥居よりも本殿が低い所にある神社を『下がり宮』と言うのですが、これは全国に8万以上ある神社の中でも数えるほどしかないという非常に珍しい配置なのです。
そもそも祀られる神は天にいるので、天に近いところ、すなわち丘の頂上などに社殿を建てるのが一般的な神社です。
従いまして、貫前神社も丘の上に社殿を建てようとすれば容易にできたはずなのですが、なぜわざわざ下ったところに作られたのか、皆さんはご存知でしょうか?
実はこれ、私も調べたことがあるのですが結論としては『謎に包まれたまま』です。
祀られている神が谷から現れた為、敢えて谷に近い方に社殿を建てた・・・という説はあるのですが、とはいえ、そうすると丘の上から社殿を見下ろす形になってしまい神様に対して無礼になってしまいます。
その為、無礼は承知の上で谷側に社殿を作らなければならない何かしらの理由があったと考えられるのですが、それが何なのかは現在でもはっきりしていないのです。
とはいえ、謎のままだからこそ古代のロマンを感じるのも事実。
2021年もあと1ヶ月を切りましたが、是非来年のお正月は貫前神社へ初詣に行き、下がり宮に隠された謎を探ってみてはいかがでしょうか。
2021年12月7日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊