※2021年3月よりまえばしCityエフエムの情報番組『M-wave Evening Express』(84.5MHz)にて、KING OF JMK代表理事:渡邉 俊プレゼンツ『「上毛かるた」はカタル』放送中!
以下の絵札をクリックすると、番組内で各札を紹介した原稿を見る事ができます!
冬から春にかけて北関東に吹く空っ風と、夏に轟く雷は群馬県の地形が生んだ上州名物です。こういう自然の名物の他に、群馬の県民性が人情に厚く義理に固いというのも特色です。
上毛かるた制作当時、GHQの指令によって詠みこめなかった札があった為、読み札を赤く染めてその怒りを表現しています。強硬な禁止指令に対する精いっぱいの抵抗でした。
群馬を源とする利根川水系の水は、戦前から東京や近隣の県に生活用水や農業用水として供給され、戦後は急速に進む工業化による電気の需要に追いつくため、ダムを利用した水力発電の開発が進みました。
絵札は、昭和43年に完成した下久保ダムの工事現場を描いたものです。
三国山脈は関東平野と日本海側をつなぐ関門の一つで、上越線がここを通っています。その中で新清水トンネルは茂倉岳の直下を通る海抜600mの高さにあり、開通当時は日本第2位、世界第7位の長さでした。
また上り列車が通る清水トンネルの次の湯檜曽トンネルはループ式で珍しい形式となっています。
新田義貞は鎌倉時代の武将であり、誠の心を貫いた武将として全国的にも有名です。
後醍醐天皇に味方して、元弘3年に太田市の生品神社で挙兵し、鎌倉に攻め入りました。
足利尊氏との戦いで越前国藤島(福井県)で亡くなってしまいますが、正々堂々と戦った若き武将は、武士の手本として藤島神社(福井県)や故郷新田神社に祭られています。
日本三農の一人とたたえられた船津傳次平は天保4年前橋市(旧勢多郡富士見村)で生まれ、青年時代から農事にはげんできました。
その知識と努力が認められ、内務省御用掛・勧農事務取扱・農商務省農事試験場技師となり、農事改良や駒場農学校設立に尽力しました。
関孝和は、江戸幕府に仕えて数学の研究を生涯続け、和算の発展に貢献しました。
円周率や球の体積の計算方法を考え出した孝和は和算の先駆者と言われ、ニュートン(イギリス)やライプニッツ(ドイツ)と共に近世三大数学者ともいわれています。