今から約700年前にあたる1333年5月8日、鎌倉幕府を倒す為に現在の太田市にある生品神社で挙兵した新田義貞。
当時の幕府は北条氏が政権を握っていましたが、その身勝手な政治のやり方に武士達の間では不満が高まっていました。
その為、義貞は後醍醐天皇の命のもと鎌倉へと攻め入り、同年5月22日に14代執権である北条高時らを滅ぼし、見事鎌倉幕府の倒幕に成功したのです。
その後、義貞は後醍醐天皇を中心とした政治体制の下で要職に就くのですが、足利尊氏の反乱によって1338年に戦死します。
しかし義貞は最期の最期まで後醍醐天皇への忠誠を守り抜いたのです。
さて話は変わりますが、昨年7月に新しい日本の紙幣が発行されたのは記憶に新しいと思います。
新しいお札には北里柴三郎、津田梅子、そして渋沢栄一が描かれており、またこれまでも日本の紙幣には国を代表する偉人が採用されてきました。
そもそも日本の紙幣に初めて人物が描かれたのは明治維新の5年後にあたる1873年。この頃の紙幣は”日本銀行券”ではなく”国立銀行券”という名称で、一円、二円、五円、十円、二十円の5種類の紙幣が発行されました。
そしてこの中の二円札には2人の人物が描かれているのが、その2人というのが鎌倉幕府倒幕の時に後醍醐天皇に仕えていた児島高徳(こじまたかのり)と、我らが新田義貞。
実は新田義貞は、日本円の歴史の中で初めて紙幣に描かれた人物だったことを皆さんはご存じでしょうか?
右に描かれているのが新田義貞
当時なぜ義貞が紙幣に選ばれたのかは明らかになっていません。ただ義貞を倒した足利尊氏は室町幕府を開き、それから約500年間は武士が政権を握っていました。そして再び天皇へと主権が戻ったのが明治時代。
そのため明治天皇としては、当時天皇中心の政治体制を守ろうとして命を落とした新田義貞に最大限の敬意を示したのではないかと言われています。
実際、1882年に明治天皇は死後500年以上も経過している新田義貞に正一位(しょういちい)という最高位の官位を授与しています。
また義貞が鎌倉幕府に攻め入った際の重要なポイントとなった湘南の稲村ケ崎には、義貞のことを詠んだ明治天皇の歌碑が建てられているのです。
ただ1つ残念なのは、明治初期の日本には紙幣を作る技術が無かった為、アメリカにその製造を依頼していたこと。
その為、お札には義貞が刀を海へ投げ入れる場面が描かれているのですが、何となく刀を入れる鞘の形が不自然だったり、何となく顔が日本人っぽくなかったりするのです。
とはいえ、明治天皇にとって新田義貞は特別な存在だったのです。
2025年2月4日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊