現在の前橋市富士見町に生まれ、日本の三大老農の1人と言われた『船津伝次平』。
『老農』とは、明治時代に農業技術の改良や普及に務めた優れた指導者のことを言います。1878年に現在の東京大学農学部にあたる駒場農学校で教鞭を取った伝次平は、その後日本全国を回って農民達に農業を指導しました。
ただその性格は大変気さくで、どんな人達からも愛される存在だったと言われています。
またもちろん、伝次平は群馬県内の農業にも数々の功績を残していますが、その1つとして今でも我々が恩恵を受けているモノがあります。それは『赤城大沼用水』。
皆さんはこの施設の存在をご存じでしょうか?
赤城大沼用水とはその名の通り、赤城山にある大沼を水源として山の南面にある富士見町一帯の農地へと水を運ぶ約11kmの農業用水施設です。
もともと赤城山の南側には大きな川が無く、江戸時代にこの辺りに住んでいた農民は長年に渡って干ばつに苦しんできました。またその水を巡って、集落どうしの争いも頻繁に起こっていたと言われています。
そこで伝次平はこの問題を解消するため、赤城山の山頂付近にある大沼から富士見町まで水を引いてこようと計画したのです。
その為明治元年にあたる1868年、伝次平は自らの手で設計図を書き、村の有志の署名を集め始めます。しかし当時としては壮大な工事であった為、この計画が進展することはありませんでした。
しかしそれから約半世紀。
伝次平がこの世を去った17年後の1915年、木村与作という人物が再び用水の建設を申請。また後にこの事業は椛沢政吉(まさきち)という人物に継承され、ようやく1941年に工事が着工します。
とはいえ時は太平洋戦争の真っただ中で建設資材も思うように調達できず、更に山の中を通る全長約2kmのトンネル工事も湧水などの発生によってたびたび中断され、全くと言っていいほど進展しませんでした。
そしてやっとのことで完成したのは、伝次平が最初に設計図を書いてから実に88年後にあたる1956年。
彼の死後、多くの人にバトンを繋いで完成へと漕ぎつけたこの用水によって、富士見町一帯の耕作地や水田は大幅に増え、またホウレンソウやサトイモ、ダイコンなどの野菜栽培も盛んに行われるようになった訳です。
そしてこの用水も完成から70年が経過しようとしており、現在は老朽化が懸念されています。しかし県の主導によって修繕や補修が行われており、もちろん今でも現役で稼働しているのです。
伝次平の構想から実に1世紀半以上も経過していますが、群馬県の農業を更に発展させていく為、まだまだこの大沼用水には頑張ってもらわないといけないのです。
2025年2月11日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊