1931年に開通した、群馬と新潟の県境にある上越線の清水トンネル。
全長9702mは当時世界第9位の長さであり、また特徴的なのはその前後に螺旋状の線路があること。ここを通る電車はこの螺旋を上り、清水トンネルを通過したあと反対側の螺旋を下るという形を取っていました。
また現在の清水トンネルの近くには1967年に開通した新清水トンネルがあり、従来の清水トンネルは上り線用、新清水トンネルは下り専用となっています。
さてこの上越線ですが、群馬から電車に乗って新潟方面に北上していくと越後湯沢駅の次に石打駅があります。
この駅前に”上越線の父”と呼ばれる人の銅像が建っているのを皆さんはご存知でしょうか?
その人の名は『岡村貢(みつぎ)』。
岡村貢は1836年に現在の南魚沼市の大名主の家に生まれます。
その所有地は広大であり、自分の敷地だけで三国峠を越えることができたそうです。しかし貢はそれに奢ることなく、困っている人がいれば迷わず救済の手を差し伸べ、また私財を投じて地域に学校や病院、銀行の建設なども行いました。
そして貢が生涯をかけて取り組んだのが鉄道の建設。
明治初期に東京で開業された蒸気機関車を見て『これからは鉄道の時代だ!』と思い立った貢は、地元:南魚沼の発展の為、東京と新潟を直線で結ぶ鉄道建設を計画します。
当時南魚沼から群馬に抜ける三国街道は冬に大量の雪が積もる為、凍死者や雪崩による遭難者が絶えませんでした。
そのため鉄道を建設すれば関東と新潟を行き来する人々を救え、地元新潟の経済を発展させられると考えたのです。
そこで貢は何度も何度も政府に働きかけて上越線の建設を懇願したのですが、全くと言って良いほど話は進みません。
その為、貢が行ったのは『上越鉄道会社』という会社の設立。なんと貢は賛同してくれる仲間を募り、私財を投げ売って自費で鉄道を作り始めたのです。
とはいえ当時は日清戦争が終結した直後という事もあり、物価高騰の影響を受けて計画はとん挫。1901年に上越鉄道会社は解散となってしまいます。しかし、その後は政府も上越線の重要さに気付き、国の政策として建設が進むのです。
貢は1922年に87歳でこの世を去りますが、そのの7年後の1929年に清水トンネルが貫通。会社を設立して36年後にあたる1931年に上越線全線が開通したのです。
現在、みなかみ町にある法師温泉の『長寿館』という旅館には当時貢が作った上越国境の測量図が大切に保存されています。
残念ながら生前の開通は叶わなかったのですが、貢が自らの手で、そして自らのお金で建設を開始した上越線は現在多くの人々の足として関東と新潟を往来しています。
2025年1月28日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊