群馬県の人口が読みになっている”ち”の札。
最大の特徴は皆さんもご存知の通り、群馬の人口増加と共に読み札の数字も変わっていったという点。
1947年の上毛かるた初版発行時は『力合わせる160万』という読みでしたが、その後170万、180万、190万、200万と人口が10万人増えるごとに改訂されてきました。
通常、かるたでは読み札を途中で変えないことが前提となっている為、上毛かるた以外のかるたでこのような変更は見たことがありません。また初版発行当時も、人口と読み札を連動させるというアイデアはなかったそうで、実はいつ誰が読み札を変えていくことを提案したのかはよく分かっていないのです。
とはいえ当初のこの札の意味合いは、日本が初めて経験した敗戦の苦難を県民全員で力を合わせて乗り越えようという思いでした。
そして何より、上毛かるたそのものも、当時の群馬県民が力を合わせたことによって作られた物であることを皆さんはご存じでしょうか?
1947年1月、上毛かるたの生みの親である浦野匡彦先生は、上毛新聞の紙面上でその構想を発表したのですが、その制作過程で重視されたのが『民主性』でした。
要するにかるたの札の内容を誰かの一存で決めるのではなく、県民で一丸となって制作することに主眼を置いたのです。
そのため具体的には、まず上毛新聞上でかるたに採用する題材を県民からの『公募』によって集めます。
その結果、各地から272点もの題材が送られてきたのですが、更にそれらを県内の教育関係者や郷土研究者など18人で結成した『上毛かるた編纂委員会』の中で1つ1つ吟味し、どれを採用するか、そしてどんな読みにするかを決定していったのです。
採用する札の案を多くの方から集め、更に多くの有識者の目によって編纂する。
上毛かるた以前にも日本全国には様々なかるたが制作されましたが、たかが子供の遊び道具に過ぎなかったかるたを、このような方法で制作した例はおそらく無いはず。
まさにこの制作過程も当時としては画期的だった訳です。
そして今年1月、人口減少に伴い県は『力合わせる百九十万』に戻すことを発表。上毛かるた史上初めて”ち”の札の数字が減ってしまった為、県内からは様々な声があがりましたが、言い換えればその分、群馬県民から愛されている札とも言える訳です。
ただ将来のことを考えると、約5年後の2029年には群馬県の人口が180万人になってしまうという予測があります。
今回の190万への変更を残念に思っている方は多いと思いますが、更に厳しい現実が近い将来待ち構えているのです・・・
2024年7月30日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊