2024年6月11日放送 - さ:三波石と共に名高い冬桜


 国の名勝および天然記念物に指定されている藤岡市鬼石町の三波石峡と、春と冬に2度咲く桜山公園の冬桜。

三波石峡は、その美しい景観から江戸時代には既に観光名所として栄えており、またここで採掘される三波石は庭石として高価格で取引されていました。また桜山公園も時期になると7000本の冬桜が咲き誇り、多くの観光客が訪れます。

 

 

さてこの桜山公園の冬桜ですが、以前このコーナーでも紹介した通り、発端となったのは20世紀初めに巻き起こった日露戦争。当時、この桜山周辺の村長をしていた飯塚志賀(いいづかしが)という人物が、日露戦争の勝利を記念して村民と一緒になって桜やカエデなどを植樹しました。

するとその一部の桜が冬にも花を咲かせたことで話題となった訳です。

 

 

そして今回注目したいのが、この『さ』の札の読み。

群馬で育った皆さんの頭の中には既に『三波石と共に名高い冬桜』という読みが定着していると思いますが、上毛かるたの生みの親である浦野匡彦先生の娘:西方恭子さんの著書『上毛かるたのこころ』によると、1947年に上毛かるたの読み札を検討していた当初の『さ』の札の読みは少し違っていました。

 

 

それは、『三波石と冬桜』。

 

 

しかしその後、初版が発行されるまでに何らかの理由で『三波石と”共に名高い”冬桜』という読みに変更されたことが分かっているのです。

ちょっとした変更ですが、当初の『三波石と冬桜』というのは両者を並列に表現しているのに対し、"共に名高い"という言葉を加えたことで、冬桜の方を強調しているように捉えられます。

なぜこのような変更をしたのか、皆さんはご存じでしょうか?

 

 

実はこれ、当時読み札を検討した時の資料はあまり残っていない為、なぜ『共に名高い』を付け加えたのかは現在でも不明なのです。

 

 

しかし、上毛かるたが制作されたのは日本が敗戦となってわずか2年後のことであり、また以前も申し上げた通り、上毛かるたの『つ』の札には戦後まもなくシベリアへ連れていかれて強制労働を強いられた日本人への想いが込められていると言われています。

 

 

あくまでこれは私の仮説なのですが、上毛かるた制作当時、敗戦で屈辱を味わっている群馬県民に対し、その昔大国ロシアに勝利して国内全体が湧き立った日露戦争のことをもう1度思い出して欲しいと言う考えが、この『共に名高い』という表現に込められているのではと思うのです。

 

 

そしてその桜山公園の冬桜ですが、現在いくつかの木から病害が確認されており、このままだと将来は全滅の可能性もあると専門家から指摘されています。

その為、地元の方々を中心に保全に関する研究が盛んに行われています。

 

 

2024年6月11日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

  

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊