2024年3月12日放送 - ろ:老農船津傳次平


 

 日本の三大老農の1人と言われている富士見村出身の『船津傳次平』。

 

『老農』とは明治時代に農業技術の改良や普及に務めた優れた指導者を表す言葉。

1878年に現在の東京大学農学部にあたる駒場農学校で教鞭を取り、多くの農学者を生み出します。

真面目で厳格な先生だったと思われがちですが、農業の指導をする際には農民と同じ身なりで接し、気さくで多くの方から愛される性格だったそうです。

 

 

そして傳次平が駒場農学校に在籍していた当時、彼が作ったものが今もなお駒場の地に存在しています。

それは京王井の頭線の駒場東大前駅から徒歩3分のところにある『ケルネル田圃(たんぼ)』。

皆さんはこの田圃の存在をご存じでしょうか?

 

 

1881年、駒場農学校に1人のドイツ人がやってきます。その人の名前は農化学者の『オスカー・ケルネル博士』。

当時、札幌農学校がクラーク博士を招聘してアメリカの技術を取り入れたように、駒場農学校ではドイツ人の学者を招聘して農業技術の研究に力を入れました。

その為、傳次平はケルネルと共に研究を行う為、当時まだ荒れ地であったこの場所を開墾して水田を作ったのです。

 

 

 

実は傳次平は、日本の土壌や気候は欧米と異なる為、単に西洋農学の本を翻訳して日本に取り入れたとしてもあまり意味がないと考えていました。

そしてその考えはケルネルも同じであり、二人はこの水田を使って日本の稲作に適した土壌や肥料の研究に力を注いだ訳です。これが日本の稲作の発展に大きな影響を与えていくことになります。

 

 

そして現在も、このケルネル田圃は現役で米を作り続けています。

面積は約1700平方メートル。そしてこの田圃で田植えをしているのは名門:筑波大学附属駒場中学と駒場高校の生徒達。

 

彼らはここで農業実習をしており、時期になると1年生が田植えや稲刈りを行います。そして多い年には300キロものもち米を収穫し、毎年の入学式や卒業式でお赤飯として振舞っているのです。

 

農業実習の目的は、命を育むことの尊さや自然と人間との関わりを学ぶ為とのこと。

都会ではあらゆる物がスーパーで購入できる為、稲の栽培方法などを教科書以外で学ぶことはありません。

 

またスズメから稲を守る為にテープを張ったり、田んぼにいるカマキリを観察したりと普段の生活では体験できない動物との関わりもあります。

この傳次平が開いた田んぼで生徒たちが学ぶことは、単なる思い出以上の価値があるはずです。

 

 

そして今月の3月1日、筑波大学附属高等学校で卒業式が行われました。

もちろん私は参加していませんが、例年通り、この田圃のもち米で作られたお赤飯が卒業生たちに振舞われたはずです。

 

 

2024年3月12

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

  

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊