明治時代の三大老農の1人と言われている船津傳次平。
『老農』とは、明治時代に農業技術の改良や普及につとめた優れた指導者という意味であり、傳次平はその3人の中でも一番の功績を残した人物とも言われています。
またそれが認められ、1877年からは現在の東京大学農学部にあたる駒場農学校の講師を務めました。研究の為、当時は荒れ地であった駒場界隈を開墾して水田を作ったのも傳次平だったと言われています。
さて、1年前このコーナーで『ろ』の札を紹介した際、船津傳次平の功績として『太陽暦耕作一覧』を紹介しました。これにより、明治時代に太陰暦から太陽暦に暦が変わったことでいつ何をすれば分からなくなった農民たちを混乱から救った訳です。
しかし、それ以外にも傳次平が農業に遺した功績はたくさんあります。その中でも今日は『石苗間(いしなえま)』について紹介したいのですが、皆さんご存知でしょうか?
ある日傳次平は赤城山へ向かい、いつものように草刈りをしていた時、ふとある事に気づきます。
それは、大きな石の周りに生えている草が他の場所の草と比べてよく成長していたのです。
またその場所は赤城山の南側の斜面に位置していた為、その石は太陽光をたっぷりと受けて温かくなっていました。
これにヒントを得た傳次平は、実験として石と石の間にナスの種を蒔いてみます。するとナスは通常よりもすくすくと育ちました。
これが石苗間(いしなえま)であり、要するに日光が強く当たる場所に比熱の高い石を置いて温かい環境を作る事で、作物を通常の収穫時期より早めに収穫できる、いわゆる『促成栽培』の先駆けとなった訳です。
そして、この石苗間の方法を今でもそのまま実施している地域があります。それは、静岡県の久能山地区で栽培されている『石垣いちご』。
山の南斜面に石垣を作り、その石と石の間に苺の苗を配置すると太陽光で温められた石垣によって早い時期に収穫できます。
おそらくほとんどの方は、苺といえば冬の果物というイメージが強いのではないでしょうか。しかし俳句で『苺』は冬の季語ではなく初夏の季語。
昔は5月頃に食べられていたのですが、傳次平が考案した石苗間、またその後のビニルハウスなどの促成栽培技術の発展により、冬でも苺が食べられるようになった訳です。
クリスマスになると当然のように苺のケーキが売られていますが、もしかしたら傳次平の石苗間の発明がなかったらこの時期に食べられなかった?かもしれません。
今、こたつで苺を食べながらラジオを聞いているそこのあなた。
船津傳次平がこの世に遺した功績をよ~く噛み締めながら、その苺を味わってください。
2023年2月14日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊