下仁田町が誇るブランド食材:下仁田ねぎと下仁田こんにゃく。
妙義山や荒船山に囲まれた独特の地形だからこそ生まれたこれらの食材は、いまや全国に知られている群馬の名産品です。
昨年このコーナーで『ね』の札を取り上げた時には主に下仁田ねぎのことをお話しました。従いまして今回は、もう片方の『下仁田こんにゃく』について語りたいと思います。
皆さんご存知の通り、群馬県はこんにゃくの一大産地。日本で栽培されるこんにゃく芋の9割以上が群馬県産であり、そしてそのほとんどが下仁田町で生産されています。
そもそも群馬でこんにゃくの生産が始まったのは室町時代。しかし当時こんにゃくはお坊さん達が食べる高級食材の1つであり、一般庶民が食べるようになったのは江戸時代に入ってからと言われています。
しかし生のこんにゃく芋には強烈なエグ味と臭みがあり、とてもじゃないですがそのままだと茹でても蒸かしても食べられません。
江戸時代の古文書には、『生のこんにゃくをねずみが食べると死に至る』と書かれているそうで、野生動物には食べ物として認識されていないようです。
こんにゃく芋を精粉してアク抜きすることによって美味しく食べられる訳ですが、この調理方法をいつ誰が発見したのかは今のところよく分かっていません。発見した人は相当偉いと思います(笑)
またこんにゃくの栽培方法ですが、これは非常に難しく、日差しが強いと良くないものの気温が低いと病気になりやすく、また雨は必要ですが、水はけが悪いと腐ってしまうという何ともデリケートな作物です。
その点、下仁田は極端に寒い訳ではなく、適度な日照時間も確保でき、また水はけのよい山の斜面もあったことからこんにゃく栽培にはうってつけの場所だったのです。
更に、下仁田には当時こんにゃくを精粉加工する為に無くてはならない、ある重要な自然条件が備わっていました。それは何なのか、皆さんはご存知でしょうか?
正解は・・・『流れの速い川』、つまり鏑川が流れていることです。
現在こんにゃくの加工は全て機械で行っていますが、当然昔はそんなものはなく、水車を動力として精粉作業をしていました。
しかし水車はおだやかな水の流れでは力を発揮できず、ある程度流れが速くないと回りません。その点、荒船山から下仁田へと流れている鏑川の流れはこんにゃくを精粉する水車を回すのに適していた訳です。
ちなみに以前、関西や横浜出身の友人を連れて下仁田へ行った時、味噌おでんを見て驚愕していました。分厚いこんにゃくに味噌をたっぷり付けてかぶりつくという文化は、どうやら群馬だけ?のようです。あんなに美味しいのに。
2022年9月20日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊