群馬県内最多の人口、約37万人を抱える高崎市。
古くから商業が発達してきた街であり、また江戸時代には中仙道の宿場町として栄え、その賑やかな様子は『お江戸見たけりゃ高崎田町』と謳われるほどでした。
この札はその商業都市:高崎を詠んだ札です。
さて、皆さん。お手元に上毛かるたがありましたら是非『か』の絵札を眺めてみて下さい。
何これ?というものが描かれていないでしょうか。
絵札には線路が描かれており、高崎から上へ線路が延びた先に『長野』という文字があるはずです。そして、その長野という文字の横にあるのが『卍』のマーク。
卍と言えばお寺を示す地図記号ですが、群馬県内にもたくさんお寺があるのに、なぜ長野にだけ卍が描かれているのか、皆さんはご存知でしょうか?
この卍が示している場所とは・・・皆様ご存知の長野にあるお寺、日本最古の阿弥陀如来が安置されている『善光寺』です。
実は昔日本人にとって、また群馬県民にとっても善光寺は大変特別な存在だったのです。
1783年に起こった浅間山の大噴火。
『あ』の札の回でも解説しましたが、この噴火で当時の群馬県内はたくさんの被害者を出し、特に山の北側にあった鎌原村は一瞬にして火砕流に飲み込まれ、597人の住民のうち466名がその犠牲となりました。
その時、いち早く鎌原に赴いたのが当時の善光寺の住職であった等順(とうじゅん)大僧正。
地獄絵図と化した現地を目の当たりにした等順は被災者とともに30日間念仏を唱え、3000人分の米を配り歩きます。
更に等順は『お血脈(おけちみゃく)』と呼ばれるお守りを被災者の人達に授与しました。
これを授かると阿弥陀如来と縁が結ばれ、宗教や宗派に関係なく極楽浄土に行けるというもので、これによって被災者の心のケアに務めた訳です。
またその2年後の1785年。浅間山大噴火の三回忌を善光寺本堂で実施し、犠牲者の供養を行ったのですが、これが現在、善光寺で7年に1度行われる最大のイベント『御開帳』の原点となったと言われています。
その結果、一般庶民の間で善光寺は極楽浄土の入り口であると言われるようになり、『遠くとも一度は詣れ善光寺』という言葉が流行るほど全国から厚い信仰を集めました。
そしてその御開帳。
昨年が7年に1度の年だったのですが、コロナの影響で延期となり、まさに今、善光寺で4月3日から6月29日まで開催されています。7年に1度だけ、御本尊の身代である「前立本尊(まえだちほんぞん)」を拝めるというイベント。この機会に是非行ってみてはいかがでしょうか。
2022年5月10日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊