中之条町の北部に位置する四万温泉。
『4万の病気を治す霊泉』という言い伝えから”四万”と名付けられたと言われており、昭和初期には草津や伊香保と並んで”上州三名湯”と呼ばれていました。
また小さい頃に上毛かるたをやっていた男の子達は、この絵札を取るとなぜか友達から冷やかされてしまうという変な思い出があるのでは?と思います。ただ親子でお風呂に入っている絵なので、今になってみれば別にそれほどのものでもない気もしますけどね。
しかし江戸時代後期になると天保の大飢饉などの影響を受け、四万にも甚大なダメージを受けたと言われています。
そしてその影響は明治時代まで続き、長い間四万温泉は寂れた状態になっていたそうのですが、ある歴史的な有名人の助言がきっかけとなって再び人気のある温泉へと復活したのです。
さて、その人物は誰なのか、皆さんはご存知でしょうか?
その人物とは、学問のすすめなどで知られている『福沢諭吉』です。
当時、福沢諭吉は慶應義塾を創設して多くの塾生を指導していた訳ですが、その中に田村茂三郎(もさぶろう)という生徒がいました。
この方が後に四万温泉の田村屋旅館の12代目当主になるのですが、その時、福沢諭吉から直接、『四万温泉は不便だからなかなか行くことができない。田村君、これからは交通手段がとても重要になるから良く考えておくと良い。』というアドバイスを受けます。
出典:四万温泉の老舗旅館-四万たむらの歴史
https://shima-tamura.co.jp/history/
御存知の通り、四万温泉は山の中にあり、当時は福沢諭吉が訪れるにしても延々と馬車や人力車に乗って行くしかない時代でした。
その為、茂三郎は福沢諭吉の言葉をきっかけにして『群馬自動車会社』という会社を設立し、渋川駅から四万温泉まで定期路線バスの運行を始めたのです。
これによって四万温泉は再び湯治客で賑わうようになり、また与謝野晶子や太宰治、井伏鱒二といった文豪が頻繁に訪れるようになったことで人気の温泉街へと復活した訳です。
御存知の方も多いと思いますが、現在その田村屋旅館は”四万たむら”という名前に変わって今も営業を続けています。
四万たむらの中の間には、当時茂三郎が直接本人からもらった福沢諭吉の肖像写真が飾ってあるそうです。
気になる方は是非、四万温泉へ出かけてみて下さい。
2022年1月4日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊