群馬を源とする利根川水系は首都圏に生活用水として供給されてきましたが、戦後はダムを利用した水力発電としても開発が進みました。
現在県内には33箇所の水力発電所があり、また近年は温室効果ガスを排出しない発電方法として再び注目されつつあります。
今は電気のある生活が当たり前になってしまったので『理想の電化』と言われてもピンと来ない方も多いと思いますが、上毛かるたが制作された終戦直後の日本は当時主力のエネルギー源であった石炭の生産が大きく落ち込んだことで深刻な電力不足に陥っていました。
そこで当時、政府は戦前の経済水準にいち早く戻す為、石炭産業の復興を進めると共に水力発電にも力を入れた訳です。
この『り』の札には、当時の群馬の水力発電が日本の電源となるという誇りが込められています。
さてこの札、先週の『ら』に続いてですが、上毛かるたの歴史を語る上でとても重要な意味を持っている札です。
というのは、今皆さんが普段目にしている上毛かるたの絵札は1968年に全面改訂されたものであり、この『り』の札はその描き換えのきっかけとなった札だからです。
上毛かるたが発行された1947年。その初版のかるたの『り』の絵札には、現在の渋川市北橘町にある佐久発電所が描かれていました。
この佐久発電所は1928年に完成した施設であり、当時は東洋一の水力発電施設と言われ、まさに『電源群馬』の象徴のような施設でした。
しかしその後日本は高度成長期へと入り、1968年には当時の西ドイツを抜いてアメリカに次ぐGDP世界第2位の経済大国となります。
そしてこの同じ年に完成したのが埼玉県との県境付近に位置する下久保ダム。上毛かるた初版の絵札の作画を担当した画家の小見辰男(おみたつお)先生はこの年、完成間近の下久保ダムの建設現場を訪れたのですが、その風景を見て全ての絵札を描き換える事を決意します。
大規模な工事の様子を日本が世界へ力強く前進していく姿として捉え、いつまでも『戦後』という言葉に捕らわれるのはやめようと思い立ったのです。
そして『り』の札に当時小見先生ご自身が見た下久保ダムの建設風景をそのまま描き、新生日本を表現しました。この絵札が現在の上毛かるたにも使われています。
それから54年経った現在、当時と比べると今の日本の経済状況はお世辞にも良いとは言えません。
下久保ダム建設当時の日本の経済成長率は10%を超えていましたが、2018年はわずか0.2%。更に新型コロナウィルス感染拡大が経済停滞に拍車をかけています。
また元気な日本を取り戻し、そして群馬がその日本経済をけん引するような存在になれれば良いですね。
2022年1月18日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊
※ちなみに以下の左側が初版の『り』の札。右側が現在の『り』の札です!