群馬と新潟の県境にある谷川岳。またその南には水上温泉や湯檜曽温泉、宝川温泉などの温泉が集中しています。
大正時代より前は交通が不便だった為、この地域の知名度はあまり高くなかったのですが、1931年に上越線が全線開通したことにより『東京の奥座敷』と言われるほどの温泉郷に発展していきました。
この札は、その水上・谷川の地域を詠んだ札であり、今でもスキーや登山、温泉と年間を通じて多くの観光客が訪れます。
さて、あと1ヶ月ほどでスキーのシーズンが始まります。新型コロナウィルスにより昨年はスキーを楽しめなかった分、今年こそは!と考えている方も多いのではないでしょうか?
またスキーと言えば『私をスキーに連れてって』の原田知世と三上博史!とか、広瀬香美の『ロマンスの神様』!なんてのが頭の中に出てきて、ほとんどの方は『スキー=冬のレジャー』という印象を持っていますよね。
歴史を紐解いてみると、日本で初めてスキーが行われたのは1911年。
それから徐々に人気が出始め、1930年代には既にレジャーとして定着していたそうです。
実際、1935年に書かれた川端康成の小説『雪国』にも、主人公が湯沢温泉の旅館からゲレンデのスキー客を眺めているという場面が描かれています。
しかしその後第二次世界大戦が始まり、日本の状況が悪化していくと、世の中の娯楽やスポーツは次第に自粛を求められるようになります。
もちろんスキーも例外ではなく自粛・・・と言いたい所なのですが、実はスキーは自粛されず逆に『国民が率先して取り組むべきもの』と国から奨励されていたのです。それは何故だかご存知でしょうか?
当時、第二次世界大戦は東南アジアや太平洋を中心に繰り広げられていましたが、戦況が進むにつれ、シベリアなどの積雪地帯が戦場となる可能性も出てきました。
その為当時の政府は日本軍の機動力を上げる為には国民全員のスキーの技術向上が欠かせないと考えたのです。
そこで政府は、スキーを軍事として国民全員に奨励し、『国防スキー』と呼んで娯楽のスキーと区別したのです。
しかし、その後戦争は終結して国防スキーの考えも無くなります。
上毛かるたが発行されたのは終戦から2年後の1947年。これはあくまで私の見解ですが、『国防訓練としてではなく、純粋にレジャーとしてスキーを楽しむ事ができるようになった』という作者の嬉しい思いがこの札には込められているのではないかと思う訳です。
楽しくスキーができることの大切さを噛み締めて、昨年我慢していたスキーヤーの皆さんは是非今年水上・谷川に出かけてみて下さい。
2021年11月2日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊